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砂川治久
1963年東京浅草生まれ49才
ボンドサーフ経営
■夢中で乗っていた10代
17才から波乗りを始めて一年くらい通いで千葉に行きました、18才の時に太東の吉田正さんの門を叩いて弟子入りをお願いしました。吉田さんは丁度サーフボードメーカーを立ち上げる時だったので、忙しいから手伝えと言ってくれました。毎日サーフィンをして二年半くらいお世話になりました。アマチュアの大会で勝てるようになりオニールがスポンサーになってくれて一度東京に戻ったんですよ。ベースは太東だったから、アパートを借りて毎日くらいの勢いで行ったり来たりの生活でした。
■サポートを受けてプロに
アマチュアの成績が良かった時期にオニールの得意先の丸井さんがサポートしてくれるようになって、それでプロになる決心をしました。初めて丸井さんからハワイのチケットと宿泊費を出してもらった時は嬉しかった。そして世界大会を日本に引っ張ってきたときの選手の面倒を見る役を仰せつかりました。その時代に丸井池袋がサーフィンの道具を世界で一売ったと聞いています。その丸井のスポーツ館が客で賑わいアドバイザースタッフとして週に3回くらい販売のコーチングを頼まれて行っていました。サーフボードも作っていたしサーフィンの業界にも顔が効いたので、スタッフ教育と言う名目で僕をサポートしてくれたんですよ。その後もしっかりサポートをしてもらい、カリフォルニアで開催されるケティン
カリフォルニアチャレンジと言う世界クラスが参加する大会に出場しました。その時は ティームチャレンジ・オニールチームで出場したんですが、二回目は丸井チームで出ました。これは丸井と取引しているメーカーの選手たちが集まってチームチャレンジしたんです。そのときのチームで覚えているのは、ビクトリーの先輩達、きよじさん、ゴッデスの池田ミツタカさんと僕で戦いに行った事が有ります。それからズーッと丸井さんとオニールさんにお世話になり、日本に帰ってきてプロクラストライアルでプロになりました。
■カリフォルニアの波が好き あの頃カリフォルニアに行っている日本人なんていなかったけど、僕はずっとオニールだったんでその年をきっかけに毎年3ヶ月くらいアフターハワイは必ずカリフォルニアでスタイルとかライフとかを吸収しました。英語がまるでだめだから体当たりでしたよ。地元の人に英語も解らないで良く来たねって英語で言われて(笑)、ハンティントンビーチに日本人はお前しかいないなんて言われたけど、その頃ハンティントンにはザ・サーフの鬼頭さんがいました。サンタクルーズでお会いした時、日本人に会ったのは初めてだと言われましたよ。ハンティントンはあまり良い波じゃなくダンパー、だから上手くなるのかな?みんなスピーディー。波が良いのは冬場、北の方でリンコンがパーフェクト、波が良いからハワイより好きでしたね。ハワイのノースのような大きな波はあまり好きじゃなかった、あまりに大きすぎて自分のサーフスタイルに合ってない、ジャンルが違う感じ。僕のサーフィンはマニューバとアクションとスタイル、この三つが重要だと思っている。デカイ波に乗っている人はそれがスタイルだと思っている。昔は一番デカイ波に乗らなければサーファーじゃない、みたいな変な考え方が日本に有ったんですが、合う人と合わない人がいる。サーフィンで一番重要な事はカッコイイ事。だからデカイ波に乗っている人はカッコいいと思っているでしょう、僕もカッコイイと思いますよ。でも自分には出来ないから、同じ色の花じゃなく違うカッコ良さを追いました。
■サーフィンビジネスに転換
早い時期にカリフォルニアでいろいろなスタイルを吸収して、日本ではある程度通用したけれど、だんだん試合で勝てなくなり、回りもどんどん上手くなって自分が伸びなくなり26才くらいになった時に限界を感じた。僕は17才からサーフィンを始めているけど、カリフォルニアでは7才とか小さい頃からサーフィンを始めている。父親がサーファーでおじいちゃんもサーファー、サーファー一族。僕なんてサーフィンしたくて千葉に移り住む時、母親から勘当されましたよ。そうやってサーフィンに打ち込んできた環境と、小さいときから家族ぐるみでサーフィンに親しみ家族や親戚が応援してくれる環境の違いは有りますね。プロを引退して自分のお店とオリジナルブランドのウエットスーツを展開するようになったのは、ちょうどバブルの最後のときだったのでうまくいきました。その時はサーフィンをあまりやらず商売ばかりやっていました。サーフィンビジネスをもう一つ立ち上げようとしていたので、サーフィンはできなかったです。昔はオリジナルって言うと安物のイメージが有ったけれど続ければ本物のブランドになる。プロの選手を何人か抱えたり全国の友達が着てくれたりと26〜27年間ズーっとやっています。
■海は様々なものを与えてくれる 元々本家が浅草でしたから東京ベースでサーフィンをしていましたが、10年くらい前に娘も千葉でサーフィンをしたいと言ってくれたので移ってきました。
サーフィンは面白いし僕が続けて行けば僕の子供たちや孫につながるかなって思って今まで続けてきた。僕には二人の子供がいて一人はサーファーで僕以上にサーフィンしているかな。サーフィンのためにアルバイトして海外留学をしながらサーフィンをしている。僕と同じで毎年冬場は3ヶ月海外に行って波乗りして一度帰って来るのですが又バリに出る、海外に出て波乗りを通して世界を観たいのでしょう。昔と違って今は手の届くところに世界が有るから幸せですよ。あのころ僕たちはサーフィンに飢えていたんだと思う、そんな僕の背中を見ていて良いと思ってくれたのか、娘が自分と同じ事をしている。娘はなんて言うか分からないですが、親としてはうれしいですよ。それはサーフィンをしない長女にも同じマインドをかんじる時があり幸せですよ。
サーフィンは海をズーッと見続けないと良い波に乗れないんですよ。サーフィンは環境がそろっている所でやるスポーツと違って整備されていないし、自然を相手にしてやるスポーツ。とにかく海に来てみたら波の状況が良くなくても必ず自分が納得できる波が一本は来ますよ。長く波乗りやっているけど一本も乗れなかった事は無かった。海に入ったら必ずお土産くれます。海に入るといつも癒される、悩んだら波乗りをお勧めしますよ。
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